科学者の聖地巡礼型ゲッティンゲン観光【前編】!ガウスなどゲッティンゲンにゆかりのある偉人たちについて
- ゲッティンゲンは科学者の聖地
- ゲッティンゲンにゆかりのある偉人たち
- カール・フリードリッヒ・ガウス(Carl Friedrich Gauss)
- 第一世代(ガウスと同時期の1800年代初期)
- 第二世代(1800年代中期)
- 第三世代(1800年代後期〜1900年代中期)
- ダフィット・ヒルベルト(David Hilbert)
- フェリックス・クライン(Felix Klein)
- カール・ルンゲ(Carl Runge)
- リヒェルト・クーラン(Richard Courant)
- ヘルマン・ミンコフスキー(Hermann Minkowski)
- エミー・ネーター(Emmy Neother)
- ヴェルター・ネルンスト(Walther Nernst)
- マックス・プランク(Max Planck)
- オットー・ハーン(Otto Hahn)
- カール・シュヴァルツシルト(Karl Schwarzchild)
- マックス・ボルン(Max Born)
- ピーター・デバイ(Peter Debye)
- マックス・ラウエ(Max von Laue)
- カール・ジーゲル(Carl Siegel)
- ヴェルナー・ハイゼンベルグ(Werner Heisenberg)
- 番外編
- ゲッティンゲン=科学の聖地
ゲッティンゲンは科学者の聖地
ゲッティンゲン=科学の街
私が住んでいるゲッティンゲンは、ドイツの真ん中に位置する人口13万人ほどの小さな学園都市です。
日本では耳にしたこともありませんでしたが、実は数学者や物理学者にとっては、ベルリンよりも有名な場所なのだそうです(?)
実際に、知り合いの科学者たちは瞳を輝かせながら「ゲッティンゲンほど見どころのあるところはない」と言っていました。
科学者の聖地巡礼型ゲッティンゲン観光
今回の記事では、科学者監修の元、ゲッティンゲンの魅力を科学者目線で紹介します。
【前編】は、ゲッティンゲンにゆかりのある科学者たちについて。
【後編】では、科学者にまつわるゲッティンゲンの見どころを紹介しています。
ゲッティンゲンにゆかりのある偉人たち
カール・フリードリッヒ・ガウス(Carl Friedrich Gauss)
まずは、「史上最高の天才数学者」とも呼ばれるガウス(1777-1855)。
数学・物理学・天文学などありとあらゆる分野で人類の叡智を著しく向上させた功績を残したことで知られています。
幼い頃から天才的な数学的才能を持つ神童として知られていて、7歳のとき「1から100までの和(1+2+3+…+99+100=?)」を出題されたとき 「5050」と即答した、というエピソードはあまりに有名です。
1800年代初頭から中旬にかけてゲッティンゲン大学で教鞭をとっており、ゲッティンゲン旧市街近くの天文台の台長を務めていました。
後述する数学者・物理学者たちが後にゲッティンゲンに集結し、「ゲッティンゲン=科学の街」という確固たる地位を築いたのも、元を辿ればガウスのおかげと言えるでしょう。
第一世代(ガウスと同時期の1800年代初期)
ペーター・ディリクレ(Peter Gustav Dirichlet)
ディリクレは、数論・確率論・偏微分方程式などで多大な業績を残した数学者です。
ガウスと同時期の数学者ですが、ガウスの後継としてゲッティンゲン大学の教授を務めました。
ヴィルヘルム・ヴェーバー(Wilhelm Weber)
ヴェーバーは、電磁気学の発展に多大な貢献をした物理学者で、磁束の単位「Wb(ヴェーバー)」などで知られています。
ガウスに招かれる形でゲッティンゲン大学の物理学教授となりましたが、かの有名な「ゲッティンゲン七教授事件」により失職させられた経歴を持っています。
ファルカシュ・ボヤイ(Farkas Bolyai)
ボヤイは、ガウスと同級生かつ友人の数学者です。
平行線公理(平行な2直線は交わらない)の証明(現在では証明できないことが知られている)に熱中しすぎた結果、目立った業績を挙げられませんでした。
しかしながら、息子のヤノシュ・ボヤイがその後、平行線公理を必要としない新しい幾何学を編み出したことで広く知られています。
フリードリッヒ・ヴェーラー(Friedrich Wöhler)
ヴェーラーは、世界で初めて有機化合物(尿素)の合成に成功した化学者です。
ゲッティンゲン大学の化学教授として教鞭をとっていました。
第二世代(1800年代中期)
ベルンハルト・リーマン(Bernhard Riemann)
リーマンは、解析学や幾何学で数多くの功績を残した数学者です。
素数の分布に関係する「リーマン予想」や一般相対性理論に用いられた「リーマン幾何学」などで広く知られています。
彼は、ガウスの指導の元ゲッティンゲン大学で博士号を取得しました。
その後、ディリクレの後継者としてゲッティンゲン大学の数学教授となりました。
リチャード・デデキント(Richard Dedekind)
デデキントは、数論の基礎を築いた数学者です。
ガウスとディリクレの指導の元ゲッティンゲン大学で博士号を取得しており、リーマンとも親しい友人だったそうです。
その後は、隣町のブラウンシュバイグ大学で数学の教授を務めていました。
アルフレッド・クレプシュ(Alfred Clebsch)
クレプシュは、代数幾何学や不変理論の研究で知られている数学者です。
物理学者にとっては、量子力学で登場する「クレプシュ=ゴルダン係数」で耳にしたことがあるでしょう。
彼は、リーマンの後継としてゲッティンゲン大学数学教授を務めました。
第三世代(1800年代後期〜1900年代中期)
ダフィット・ヒルベルト(David Hilbert)
ヒルベルトは、代数学で数多くの著しい功績を残した数学者で、「現代数学の父」とも呼ばれています。
39歳と若くして亡くなったリーマンとは直接の関わりはなかったようですが、彼の研究を継承し有名な「ヒルベルト空間」など多くの業績を挙げました。
ゲッティンゲン大学の数学教授として弟子の指導・育成にも力を入れ、後述する数々の著名な数学者を輩出しました。
フェリックス・クライン(Felix Klein)
クラインは、幾何学(特に多様体論)分野で著名な功績を残した数学者です。
裏表を持たない閉曲面「クラインの壺」などで知られています。
ゲッティンゲン大学ではヒルベルトと共に研究を行なっており、親しい関係だったそうです。
カール・ルンゲ(Carl Runge)
ルンゲは、偏微分方程式の数値解法などで名が知られている数学者です。
数値シミュレーション分野における「ルンゲ=クッタ法」などで名が知られています。
クラインとともにゲッティンゲン大学で研究・教育に従事しました。
リヒェルト・クーラン(Richard Courant)
クーランは、偏微分方程式の数値解法などで名が知られている数学者です。
数値シミュレーション分野における「クーラン数」などで知られています。
ミュンスターで教授になる前まで、ヒルベルトと共にゲッティンゲンで研究していました。
ヘルマン・ミンコフスキー(Hermann Minkowski)
ミンコフスキーは、幾何学などで功績を残した数学者・物理学者です。
特殊相対性理論における「ミンコフスキー時空」は、一般にも広く知られています。
ヒルベルトとは大学の同期で深い友人関係にあり、ヒルベルトに招かれる形でゲッティンゲン大学の教授に就任しました。
エミー・ネーター(Emmy Neother)
ネーターは、代数学の発展に大きく貢献した女性の数学者・物理学者です。
群論・環論などの非常に抽象的な数学理論を飛躍させ、その功績は「ネーター環」等として知られています。
彼女は理論物理学の分野でも、対称性と保存則に関する「ネーターの定理」を証明したことでも知られています。
ヒルベルトに招かれる形でゲッティンゲン大学数学教授となり、教鞭をとっていました。
当時は女性差別が根強い時代だったこともあり、ヒルベルトが相当尽力したそうです。
ヴェルター・ネルンスト(Walther Nernst)
ネルンストは、熱力学や電気化学の分野で功績を残しノーベル化学賞を受賞した化学者・物理学者です。
電池の電極の電位における「ネルンストの式」などで、広く名が知られています。
学位取得後ベルリンに移るまで、ゲッティンゲン大学の物理化学講師および助教授として教鞭をとっていました。
マックス・プランク(Max Planck)
プランクは量子力学黎明期に活躍した物理学者で、「量子論の父」とも呼ばれています。
光子の最小単位に関する「プランク定数」や黒体放射の「プランク則」などで広く知られておりノーベル物理学賞も受賞しています。
オットー・ハーン(Otto Hahn)
ハーンは、放射線や原子核分裂の研究で知られる物理学者・化学者で、ノーベル化学賞も受賞しています。
カイザー・ヴィルヘルム研究所と改名後のマックス・プランク研究所の会長を務めていました。
ハーンによる原子核分裂の発見は、物理学だけでなく文字通り人類の歴史に大きなインパクトを与えました。
核分裂によって発生する莫大なエネルギーを軍事利用する原子力爆弾(核兵器)の開発と密接に関わっていたためです。
カール・シュヴァルツシルト(Karl Schwarzchild)
シュヴァルツシルトは、天体物理学の研究で知られる物理学者・天文学者です。
一般相対性理論のアインシュタイン方程式の「シュヴァルツシルト解」やブラックホールの「シュヴァルツシルト半径」などで広く知られています。
ゲッティンゲン大学で教鞭をとる傍、ゲッティンゲン天文台の台長を務めました。
マックス・ボルン(Max Born)
ボルンは、量子力学黎明期に活躍した物理学者で、ノーベル物理学賞を受賞しています。
波の伝搬を記述する「ボルン近似」や量子系の観測量に関する「ボルンの規則」などで名が知られています。
ルンゲの指導の元ゲッティンゲン大学で学位を取得し、その後ゲッティンゲン大学教授となりました。
ピーター・デバイ(Peter Debye)
デバイは、原子物理や電気化学の分野で功績を残した物理学者・化学者で、ノーベル化学賞を受賞しています。
分子モーメントの単位「D(デバイ)」、原子振動の「デバイ模型」、プラズマの「デバイ遮蔽」などで広く名が知られています。
ゲッティンゲン大学教授を歴任した他、カイザー・ヴィルヘルム研究所の所長も務めました。
マックス・ラウエ(Max von Laue)
ラウエは、X線回析などの研究業績で知られる物理学者で、ノーベル物理学賞を受賞しています。
ゲッティンゲン大学で学んだ後、カイザー・ヴィルヘルム研究所でアインシュタイン、デバイ、プランクらと研究し、戦後再びゲッティンゲンに戻りマックス・プランク研究所所長およびゲッティンゲン大学教授を務めました。
カール・ジーゲル(Carl Siegel)
ジーゲルは、数論分野で著しい業績を上げた数学者です。
複素力学系における「ジーゲル円板」や整数点に関する「ジーゲルの定理」などで名が知られています。
ゲッティンゲン大学で学位取得後、しばらくした後再びゲッティンゲン大学にて数学教授を務めました。
ヴェルナー・ハイゼンベルグ(Werner Heisenberg)
ハイゼンベルグは、量子力学完成期に活躍し、理論の確率に貢献した物理学者で、ノーベル物理学賞を受賞しています。
量子系の観測量に関する「ハイゼンベルグの不確定性原理」や行列表示で量子力学の数学体系をまとめ上げた「行列力学(ハイゼンベルグ形式)」などで広く知られています。
ゲッティンゲンでボルンの助手をしており、しばらく経った後戦後は再びゲッティンゲンでマックスプランク研究所の所長も務めました。
番外編
高木貞治
高木貞治は、日本を代表する数学者です。
大学で微分積分を学ぶ人なら、「解析概論」という教科書(鈍器)を一度は手にしたことがあるのではないでしょうか。
ヒルベルトの下で現代数学を学ぶため、ゲッティンゲンに3年間滞在していました。
ゲッティンゲン=科学の聖地
いかがだったでしょうか。
世界中どこを探しても、ゲッティンゲンほど科学の発展に貢献した街はないのではないでしょうか。
「ゲッティンゲンなくして現代の数学・物理学・科学・化学は語れない」といっても過言ではないでしょう。
彼ら偉人たちのお墓やかつて住んでいた家は、まさに知る人ぞ知る隠れた観光スポットとなっており、世界中から科学を愛する者たちをゲッティンゲンの地に惹きつけています。
【後編】では、そんな偉人たちのゆかりの場所をもれなく紹介します。
乞うご期待!